京都ヴェルディ協会  2019.2.2


「ヴェルディ後期の傑作群を巡って」


岸 純信(オペラ研究家)

 

1.ヴェルディから見たパリの価値

A.パリ・オペラ座の「世界一のオーケストラ」:パリには金管楽器制作者アドルフ・サックスの工房があり、サクソフォンなど次々と新しい楽器が生まれ、管楽器のみならず弦奏者の演奏水準も当時は世界一と謳われたので、序曲作りに大いに腕を振るえた

B. パリ・オペラ座の作曲料も世界一高額(現在の日本円で1000万円以上と換算)

C. オペラ公演を外交の手段に重用する宮廷社会の考え方を、19世紀ではパリ・オペラ座が象徴するものと、欧米で認識された点にも注目。当時の外交語はフランス語

D. 欧州一の都会パリでは、ヴェルディとジュゼッピーナ・ストレッポーニの同棲関係をとやかく言う向きが皆無に近かった。ベルリオーズが、ストレッポーニが開いた「ヴェルディの夕べ」演奏会を激賞するなど、二人は最初から音楽的に認められていた


2.歌劇《ドン・カルロス Don Carlos》:5幕建てのグラントペラ Grand OpAmra

初演:1867年3月11日 パリ・オペラ座にて

★グラントペラ様式―5幕または4幕立て、地方色を入れ、第2幕以降にバレエ場面を盛り込み、全編を仏語で歌い通し、スペクタクルの要素を盛り込むもの

★《ドン・カルロ Don Carlo》は伊語訳詞上演の題名。4幕改訂版の《ドン・カルロ》(初演:1884年6月10日、ミラノ・スカラ座)も仏語の改訂台本をもとに作曲され、伊語の訳詞を後付け。*ナポリ版(1872年版)内には、一部、伊語のみの歌詞が存在


《ドン・カルロス》を巡る人々


@2人の台本作家の功績:台本作家ジョゼフ・メリ Joseph MAmry(1797-1866)と興行師兼台本作家カミーユ・デュ・ロクル Camille du Locle(1832-1903):史実になく、シラーの原作戯曲にもない「フォンテンブローの出逢い(5幕版第1幕)」を作り、「高位の人の振る舞い」を体現させたこと。デュ・ロクルはビゼーの《カルメン》(1875)がオペラ・コミック座で初演された際の劇場支配人。慧眼の持ち主

Aヴェルディの功績:仏語の語順を活かす旋律を作り、名バリトンのジャン・バティスト・フォル Jean Baptiste Faure(1830-1914)の声の技を尊重。マイヤーベーア等の影響をしっかりと消化して音作りに活かした

Bオペラ座支配人エミール・ペラン Emile Perrin(1814-85)もヴェルディを支援。上述のデュ・ロクルの舅が実はペランその人で、意志の疎通がしやすかった

Cパリ音楽院院長アンブロワーズ・トマ Ambroise Thomas(1811-96)は、ヴェルディ来仏のたび仏側を代表し、もてなした作曲家。《ハムレット》(1868)が有名

D文人テオフィル・ゴーチェ ThAmophile Gautier(1811-72)が詳細な初演評を執筆

E最初の翻訳者アシル・ド・ロズィエール Achille de LauziAlres(1818-94)の苦労

3. 歌劇《アイーダ Aida》:4幕立てのオペラ

初演:1871年12月24日、エジプトのカイロ歌劇場にて

★グラントペラ様式をほぼ網羅する形ながら、イタリア語の台本で作曲した異色の大歌劇。カイロ歌劇場での初演チームはパリ・オペラ座のスタッフを活用。のちにパリで披露された際に、ヴェルディは第2幕の〈凱旋の場〉にバレエ曲を追加して今の形に


《アイーダ》を巡る人々


@オペラの発注主、エジプト副王イスマイル・パシャ Ismile Pasha(1830-95):若い頃にフランスに留学し、「オペラという芸術様式の祝典性と、外交の場で重宝される特質」を理解して帰国した結果、スエズ運河の開通に合わせてカイロ歌劇場を建設。その後、ヴェルディに新作オペラを作って欲しいと何度も依頼して成功

Aエジプト副王の顧問の仏人考古学者オーギュスト・マリエット Auguste Mariette(1821-81): 自国で新聞記者としても活動していた異色の考古学者。パシャのもとで働くなかで、求めに応じて《アイーダ》のプロットを考え、仲介人と共にヴェルディに書簡を送り作曲の説得に成功。ヴェルディも彼の人柄を評価

B仲介人デュ・ロクル:デュ・ロクルは《ドン・カルロス》の仕事を通じてヴェルディの人柄を熟知した結果、「彼を煽るものは敵愾心のみ」と結論付け、エジプト側からの手紙に、マリエットのコメント「副王殿下は、もしもヴェルディ先生が作曲されないなら、ドイツのワーグナーかフランスのグノーに頼むつもり」と書かせた。その文面に刺激されたヴェルディは作曲を決意。エジプト&フランスの作戦勝ち

C台本作家アントーニオ・ギズランツォーニ Antonio Ghislanzoni(1824-93)。マリエットの原案を膨らませ、愛と平和の訴えかけを強めることに成功

4. 歌劇《オテッロ Otello》:4幕建てのオペラ

初演:1887年2月5日、ミラノ・スカラ座にて

★オテッロ役のテノールに、劇的な響きを出せるフランチェスコ・タマーニョを起用し、悪漢ヤーゴ役にフランスの知性派バリトン、ヴィクトル・モレルを選出


《オテッロ》を巡る人々

@台本作家アッリーゴ・ボーイト Arrigo Boito(1842-1918):自身も作曲家として大作オペラ《メフィストーフェレ》(1868)を発表。文才も著しく、《オテッロ》と《ファルスタッフ》、ポンキエッリの《ラ・ジョコンダ》の台本を執筆し大成功

A楽譜出版社主ジューリオ・リコルディ Giulio Ricordi(1840-1912):ヴェルディの息子の世代。盟友ボーイトと共に、ヴェルディが再び新作オペラを書くよう工夫を凝らして大成功を収めた英才経営者

Bヴィクトル・モレル Victor Maurel(1848-1923):滑らかな声音を持ち、性格表現を得意とした大バリトン。マルセイユに生まれパリ音楽院に学び、《ドン・カルロス》世界初演では学生の身で「フランドルの使節」の一人として参加。《ファルスタッフ》(1893)の題名役も創唱。作曲家レオンカヴァッロをパリで練習ピアニストに雇って遇し、彼の《道化師》(1892)の初演にはトニオ役で参加して華を添えてやった。有名な〈トニオのプロローグ〉は、このモレルの忠告と希望で追加された一場